のんびり日記

お盆のお迎えと贅沢な楽しみ♪

                                   太陽2
             ひまわり4
毎日酷暑が続いております。節電、節電と言われておりますが、こう暑い日が続くと思考回路もボヤーッとしてしまいます。。。先日は出かけた際に、急な頭痛と吐き気、これが俗に言う「熱中症」の初期段階か、、、どうも、私は暑いのが体に合わないようです・・・。適度なエアコン使用で勘弁してもらうとしましょう。

先月から今月にかけて、知り合いが亡くなってしまったり、親戚が余命宣告をされた話を聞いたり、なんとなく私の心も沈みがちです。季節はお盆の時期、この時期になると終戦記念日もあり、テレビ等でも終戦の頃をを描いたドラマなども増えています。人が亡くなっていくこと、特にここ数年はサラッと流せないような気持ちでこの時期を迎えております。

     2011年お盆

今年もスーパーのお盆の飾りセットを買いました。きゅうりの早馬で亡くなった霊が帰ってきて、4日間を過ごした後、ナスの牛でゆっくりと帰っていくというもの。ほおずきは道を照らす灯りとなります。その他夏の野菜数点とともに蓮の葉の上に飾ってみました。
今日はお盆のミニ灯篭も出して明かりをつけています。迎え火をたいて霊が帰ってくるのはもう明日の事ですもんね。

実は、明日旦那さんと(多分ルビーも一緒に)お墓参りに出かける予定でいます。家に戻ったらまた今年も娘のためにお迎え団子でもつくってあげようと思います^^

余命宣告をされたのは私の叔父、母にとっては親代わりのように親身になってくれた長兄であり、私にとっても父親が亡くなってから何かあるたびに父親代わりのように心配してくれたおじさんでもあります。

今では数も少なくなってきましたが、太平洋戦争の頃、16歳で海軍に志願しあの悲惨な壊滅的な日本を生の目で見てきたおじさんでもあります。戦後、自衛隊の前身でもある警察予備隊に入り、その後日本で作られた「自衛隊」の隊員となり、40年以上も自衛隊で活躍してきた人でした。

今更ですが、私もこの歳になって少しづつ、太平洋戦争の頃の出来事を真剣に知りたいと思うようになりました。先日は「男たちの大和」のDVDを見つつ、終戦間近の海軍兵士の事を知りました。戦争映画を見るたび、おじさんはこの頃どこにいたんだろう、この映画の世界に実際に生きていた人なんだな、とつい考えています。

10月~11月にかけて父親の23回忌で北海道に里帰りします。母とともに、おじさんに会いに行ってこようと思います。

     水玉ライン

     コーヒーハンター2

話は変わりますが、コーヒーハンターとして最近はテレビにも出ている川島さん。関東には川島さんグループのカフェが数店あるみたいですが、関西では大阪に1店舗?今後増えるかもしれませんが。。。

コーヒー好きの私が、普通のコーヒーに比べ高いという事を承知で、飲んでみたい!という欲望だけで通販で買ったものです。

     コーヒーハンター1

そう、こうやってペットボトルに入れて空気を装填して送ってくれます。もう少し量を注文すれば、シャンパンボトルに入れて送られてくるようですが、今の私にはこれで十分楽しみであります。このこだわりのコーヒー、届いたばかりですが、近いうちに飲んでみたいと思います。    y( ̄ー ̄)yピースピース
ここ最近では、私の一番のささやかな(実は贅沢な?)楽しみです。。。
                  コーヒータイム




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コメントコメント


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お誕生日がつい先日だったような気がしますが、もうお盆に入りましたね。美羽ちゃんも早馬さんと一緒にこちらに到着して一息ついている頃でしょうか。今頃お参りをされている頃かもしれないと思いつつ書いています。

終戦と言えば、私は長崎の出身なので、原爆祈念日と一緒に考えてしまいます。今はどうかわからないのですが、私が子供だった頃の長崎では平和教育が盛んで、夏休みの登校日は祈念日の8月9日と21日に設定されていました。9日に登校し、靴を履き替えて廊下に目をやると、被曝された方がやけどをしたり、倒れていたりする写真が壁の両側に何枚もかけてありました。毎年それを見ないことには教室にいけないようになっており、窓から差し込む夏の日差しとともに、廊下に並ぶそれらの写真は鮮明に記憶に残っています。

子供のころは戦争は怖いなあくらいにしか思いませんでした。でも大人になって、いろいろな別れや苦しみを知るにつれて、その辛さ恐ろしさを少し想像できるようになった気がします。

戦争前の平和な暮らしから一転、頭上の爆弾や機銃掃射を気にしながら歩く毎日となった人々、逃げようにも逃げられないほど足腰の弱ったお年寄りの恐れ、さっきまで楽しく話していた友達が機銃掃射が一瞬でぼろぼろにされるのを目にした子供たち、みんなどんなに恐ろしかったか…。

でも、平和と言われる今の日本でも、家の中で、しかも親からけがや痛み、死の恐怖を与えられている子がいる。戦時中と同じかそれ以上の恐怖の中で暮らす子がいる。虐待の報道を見るたびに、自分がそういう恐怖なしに暮らしていることへの罪悪感すら感じます。とはいえ、実際には、今は持ち場でできることをやるしかない。

せめて、将来退職したら、乳児院の抱っこやミルク、食事介助のボランティアか、児童福祉施設の子供たちに勉強を指導するボランティアの形で、平和な世の中で恐怖ばかりの毎日を送った子供たちに、将来だけでも平和に楽しく過ごせるようお手伝いをしたい…そんな老後を描いています。

みずたま | URL | 2011年08月13日(Sat)11:33 [EDIT]


みずたまさん、こんばんわ^^
長崎のご出身なのですね。みずたまさんの小学生の頃のお話を聞いて、やっぱり原爆の被害を受けた土地だからこそよけいに平和教育が行き届いていたのだな、と思いました。子供の頃に受ける戦争への印象というのは深く心に残るものだという事も感じました。
私たちは教科書で習う程度だったような気がします。まして戦争を全く知らない世代に生まれた人間なので、果たしてどれほど理解できていたのか、と思います。
今でも、決して体験していない事なので、想像力を駆使するのが精一杯ですが、私たちの先輩やご先祖が体験してきた事実を少しでも知りたいと思っています。

原爆祈念日の8月9日は、実は娘の出産予定日でした。帝王切開予定でその日に決定していたのです。カレンダーを見ながら、ああ、この日は原爆祈念日なんだなー、と思ったのをみずたまさんの文章で思い出しました^^
娘を亡くしてからずーっと予定日ではなく、生まれた7月28日ばかり印象に残ってしまっていて、なんだか8月の事は記憶から追いやられていました。。。

退職後の夢、みずたまさんならば、きっと叶うようなきがしています^^応援していますね。

美羽ママ | URL | 2011年08月13日(Sat)21:28 [EDIT]